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2026/06/13

黒耀

犬のおにいちゃんのお話です。




「お前は、この家を守る為に生まれてきたのだ」

幼い頃に、耳にタコが出来るほど聞かされた言葉。
今思えばそんなもの馬鹿馬鹿しいと一蹴できたのだろう。だが、屋敷の中だけが世界の全てだった俺にとって、その言葉は守らなければならない約束、そして血の繋がった父母との唯一の接点と言ってもよかった。
俺はその為に生まれ、その為に生きて、その為に死ぬのだと、教えられて過ごしてきた。


俺…シャルワーズはある貴族の分家に生まれた、長子であった。
落ち目であるこの家でもその地位の為に、お坊ちゃまとしての扱いを受けていた。放っておいても全てが意のままに動く世界を、当然だと思っていたのだ。新しいおもちゃや本、勉学、食べ物、遊び相手…わがままを言えば使用人がほとんどの事を叶えてくれた。
勿論、叶わない願いがある事は知っていた。それは父母と遊ぶという、子供なら一度は願うであろう事。父母は俺の事を大事な跡取りだと言いつつも、俺自身には興味を持っていないようだった。満たされないその思いからか、俺は思い出すのも恥ずかしいほどにわがまま放題であったと自負している。
しかし、ある程度成長すると今の家の状況が分かってしまう。そうして、このまま甘えてばかりではいけないという事を7つの頃に悟った。俺は、この家を守る為に生まれてきたのだから。
それから身の回りの事は出来るだけ自分でやるようになったし、今まで興味の無かった料理についても学ぶようになった。使用人に頼み込んで手伝いをする事もあった。

魔剣が俺の前に姿を現したのは、その頃だった。



ある日、父母が珍しく声を掛けてくれた。声を掛けるという事は何か重大な用事がある、という事なのだろうが。
結果だけ言うと、俺に世話役をつけるという話であった。ある程度の事が出来るようになった俺からすると、そんなものいらない!と言いたい所であるのだが、父母に逆らう気は無かった。
呼ばれて出てきたのは、長い銀髪と、黄金の瞳を持った少女。年の頃は俺より少し上。しかしそうとは思えないくらいにずっと大人びていて、また、一見して美少女だが、どことなく醜悪なものであるような気もして…違和感の塊というのだろうか。そういう人だった。
彼女の名はメルク。どうにも信用のならない雰囲気であったが、持っている物は本物であった。
貴族としての立ち居振る舞いや社交術、それらの殆どは彼女から学んだものである。それだけではなく、その口からおとぎ話の様に語られる深淵の知識は俺の世界を大きく広げた。様々な事を学びながら、俺は屋敷の中にばかり目を向けていた事に今更ながら気付いたのであった。
たくさんの事を教えてくれる、少し年上の、優しいメルク。俺はあの時、恋をしていたのかもしれない。
だが、やはり最初に感じた違和感は拭えないままで。
数年が経って、俺はようやくその違和感の正体を知った。何故なら…

彼女は年を取らなかった。身長も、顔つきも、彼女の持つもの全ては時が止まっていた。
彼女は生きていなかった。だからこそ様々な事を学ぶ時間があった。
彼女は剣…魔剣であった。誰かに使われるための存在であるのだと。

彼女の銘はメルクリウス。
俺が恋をした優しさが嘘だったという訳では無い。彼女はただ、従っていただけ。
あの優しさも、俺に毒を盛った時の邪悪な笑みも、全てメルクリウスという剣の本質であった。


―俺は2日、生死の境を彷徨った。
しかし3日目、何事も無かったかのように回復した。

何度問い詰めても、何故俺に毒を盛ったのか。魔剣はその事に関して一切口を開く事は無かった。



俺はメルクリウスを信用しなくなったが、魔剣が俺の世話役だという事は変わらなかった。
暫くの間は何もしませんよ、と言ってはいるが信用ならない。気の休まらない毎日を送っていたのだが、魔剣は本当に何もせず数年が経った。今まで通り様々な事を教えてはくれたが、俺はそれを手放しで信じることも出来なくなっていたので、自分でその真偽を確かめていた。魔剣はそれを知ってか、わざと間違った知識を教えようとすることもあった。

だが、ある日魔剣はこんな事を言った。

自らが属するのはこの家ではなく、とある組織だという事。
その組織は本家を取り込むことを目的として、魔剣は父母に近づいたという事。
俺は、魔剣を従えて本家に取り入る、その為だけに生まれたという事。

魔剣を信用してこなかった俺だったが、何故かこの話だけはすとんと心に入った。確かめるまでも無く真実であると、俺の中の何かが告げていた。
父母が辛く当たるのは、他人と色が違うから、無能だから…
俺なりにたくさん、たくさん理由を考えて、ただ期待に応えようとした。
だがそれは何の意味も無かった。
何故なら俺はままごとの人形。
家と家、そして剣。それを繋ぐただの鎹。
誰からも愛される事の無い、踊り続けるだけのつまらない道化。
最初から父母にとって、一番愛されたかった人にとって、俺の存在は生き物ですらなかった。

ああ、もう。

何だろうな、どうでもよくなった。
そうすると、一回りして、世界が煌めいたものに見えた。



ある日、何時ものように庭を歩いていると、少年が倒れていた。
年の頃は俺と変わらないくらいだったのだろうが、襤褸を纏い痩せこけた身体のせいか、ずっと小さく見えた。
驚いた次は疑問に至る。彼はあまりにもこの場所に似つかわしくなかった。まるで俺に拾ってやれと言わんばかりのわざとらしさ。
…とはいえ生命の危機に晒されている彼を放っておくのも忍びなく、俺は彼を抱き上げて、屋敷に運び込んだ。

一週間後、彼は意識を取り戻した。
彼は自分をルベリエと名乗り、これまで色違いという境遇から様々な場所から追われ続け、そうして全てを失ったのだという。
俺はどうやら彼に同情したらしい。最初に危ぶんでいたのはどこへやら、一月経つ頃にはすっかり仲良くなっていた。
ルベリエはお世辞にも学があるとは言えなかったが、その分知識欲は旺盛で、吸収も早かった。だから俺は彼の欲しがるものを出来るだけ与えてやった。彼が与えられなかった、与えられるべきものを与えてやりたかった。
そうして二月経ち、回復したルベリエは俺に仕える事となった。

魔剣はやはり、けたけたと笑って俺に告げる。
「ルベリエはシャルワーズの為に用意された駒である」と。
何となくそんな気はしていたからそこまで驚くことは無かったが、改めて告げられるとまず湧いてくるのは怒りの感情。
俺に盲目的なまでの忠誠心を植え付ける為だけに、物心つかない頃より過酷で劣悪な環境に放り込んだ…その為に彼が今も苦しんでいる事を、俺は知っている。
俺は魔剣に掴みかかり、怒りのままその憎たらしい顔に一撃を見舞う。
だが魔剣は怯むことも痛がることもなく、いつものように嗤っていた。


それから3年が経ち、俺は本家に引き取られる事となった。本家にはまだ幼い女児がいるのだが、呼ばれたということはつまり、事実上の婚約といって良いだろう。全ては魔剣の意のままとなっていることには不満を抱かざるを得ないが、俺も、もう引き返せない所まで来ていた。
父母や従者の期待、魔剣の陰謀、そして生家の再興。俺はまだ、両親がこちらを向いてくれる事を期待していたのかもしれない。



ルベリエとメルクリウスを引き連れ、本家に乗り込んだ俺を待ち受けていたのは、奥方譲りの褐色の肌と美しい銀髪を持った、あどけない仔犬だった。
名はヒューリオン。この家の跡取りであり、俺の義妹となり、いずれは妻となる存在。陰謀も何も知らない無垢なその顔が、可愛らしくも、美しくもあり、そして羨ましく、憎たらしくもあった。
初めて見る存在を恐れているのか、彼女は奥方が挨拶をしなさいと言っても、その後ろに隠れるばかり。箱入りで可愛がられて、あまり外に出る機会も無いのだろうか。そう思うと必要以上に地位があるというのも不憫なものである。
…いや、そうでもないのか。ごめんなさいね、と謝る奥方の後ろでヒューリオンはじいっとこちらを見ていた。怖がっているわけではなく、興味津々のようだ。
これから仲良くなってゆければよいか、と思っていたところで、ヒューリオンは奥方の裏から躍り出た。そうして拙くも貴族として、正しい順序で礼をして、これからよろしくおねがいします、おにいさま。と、笑顔で言う。
一瞬あっけに取られてしまったが、こちらこそ、と返し跪いて、その小さな手の甲に口付けを落とした。

お兄様、か。悪くない響きだ。
思えば今まで妹や弟のような存在はいなかった。強いて言うなら色々と教えていた頃のルベリエだろうか。
ここまでは魔剣の予定通り。あとは時が経ち、俺とヒューリオンが契りを結び、子を成す。それで分家は本家と同等の力を持ち、再興する…はずだ。
俺にとってはもう、陰謀だの運命だのはどうでもいい事だ。思えば、必死に生きてきた幼少の頃と比べると、随分感情を失ったような気がする。流されるままに、求められるままに生きてきた事の代償なのだろうな。


さて、これからどうなるやら―――

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2014/07/08 設定 Comment(0)

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